【動画】手塚治虫がみた大阪大空襲
16歳の少年は、一瞬の差で戦争を生き延びた。戦争で感じた理不尽さを糧に「火の鳥」や「アドルフに告ぐ」を生んだ漫画家の故・手塚治虫さん。ロシアのウクライナ侵攻で国際情勢が緊迫する中、手塚作品が伝える「本当の戦争」とは何か。遺族や識者に聞いた。
小学校では、いじめられっ子
髪は縮れていて、背が低く、小学校ではいじめられっ子。登校すると、容姿をからかう歌を歌われた。
自分にしかできないものを作れば、いじめられないのでは。そう考え、小学校で漫画を描き始めた。
当時はすでに戦争中で、手塚さんも巻き込まれた。戦意高揚の映画を学校で見て、同級生とは戦争ごっこ。父親も後に出征する。
《当時の子どもたちは、戦争には勝たなくてはならない、兵隊には行かされる。これはひとつのエスカレーターのようなもので、(中略)あきらめていました》(「手塚治虫 漫画の奥義」)
1941年。太平洋戦争が始まった年に旧制中学に入学した。勤労動員で軍需工場に働きに行かされたが、昼休みに漫画を描いた。工場長ににらまれても、空襲警報が鳴っても描き、「読者」が欲しくてトイレの個室内に作品を貼った。
漫画がくれた「カタルシス」
明日生きているかもわからない戦時中。漫画を描くことは「カタルシス」(浄化)だったと後年語る。
《描いていることで、ぼくは…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル